フォントは断然Osaka-等幅アンチエイリアスなし

2006年9月末現在で Monaco + アンチエイリアスに移行しました。それまでの経験に反してある程度肉厚の方が見やすかった。要は見やすいレンダリングが実現できればアンチエイリアスの有無は関係ないっぽい。

プログラム用のフォントは何がよい?

Osaka-等幅の正規ライセンスは自分が Mac を使う理由のうちの結構な割合を占めている。コードを書かないときは何とも思わないフォントだけど1。書いているときは半分近いかもしれない。それくらいこのフォントは重宝している。難点は小文字の g と q、i と j の判別がかなり難しいところ。これさえなけりゃなぁとは思うが、致命的な問題になることはまずない。たいしたもん書いてないからか?

  1. コーディングを除いた場合の Mac を使う理由は、Aqua とヒラギノや平成などのフォントライセンス、および Windows よりは分かりやすい UI と コマンドラインツール 

たまに思うことだけど

結城さんのご長男が優秀すぎて「もしかしてこの日記すべて物語? 中の人は一人だけ?」なんてことを考えたりする。

環境が人を育てるってことなんでしょうけどね。すげーもんだ。

OpenSSH 4.0

落として sshd_config と sshd_config.5 を直読みしたところ、

GatewayPorts

という設定ができていて、これで localhost のみ転送とか他のホストへも転送可能とかそういう設定ができるようだ。名前に反して port 番号の設定はできないような気がするけど案外

HOST:PORT

の書き方で port も制限できたりして。でも sshd_config.5 にはそういう書き方は載ってないしたぶんできないだろな。

実際に入れるのはもう少し情報が出回ってからにすっか。

早口は損か?

早口な人は損をする

ポイントはここかな。

仕事上、日々いろいろな方とお会いするのですが、最近早口の人は仕事の上では損だなあと思うようになりました。

「仕事上」で「会う」人に対して感じたことだって部分。つまり普段一緒に仕事してる人ではないし、まして仕事以外で会う人の話でもないってこと。また、「仕事」が定義されていないのも見逃してはいけないだろう。

もう一つ、この文章の中の「早口」という言葉にはすでに「自分の話をまくしたてるばかりで相手の話を聞いていない」という属性が付加されているような気がする。というのも特徴として挙げられているものが、別に早口の人に限らないものばかりに見えるからだ。話が長いのは単におしゃべり好きなだけで、話が変わっていくのは整理できないだけで、相手の反応に無関心なのは単なる自己中じゃないだろうか。1

自分は特別早口だねと言われたことはたぶんないが、意図的に速く喋ったり遅く喋ったり、話を止めたりしている。これは速さの TPO というか、そうものがあると思っているからである。もちろん速さが必要なシーンもある。それは例えば議論の場だったり、ブレインストーミングでどかどかアイディアを出すときなどである。2特にブレインストーミングでは話の飛び火は悪いことではないし、むしろ飛び火の中から面白いアイディアが出たりする。このとき、科学的な根拠を持っているわけではないが、一定以上のスピードの喋りが自分を含めた参加者に刺激を与えると思う。逆にブレインストーミングの際に喋りが遅かったり単語が出てこなかったり明瞭な話し方でなかったりすると、頭の働きがとても鈍る感じがする。

速聴というものがあるが、あれは言葉を通常の5倍とかのスピードで聞き取れるようになるらしい。すると思考のスピードも上がるというのだ。思考のスピードの真偽のほどはともかく、自分が普段考えるときも言葉のスピードは喋りのスピード以上にはまず速くならない。これはもったいないなぁと思う。口の筋肉の限界や他人の言葉を租借する時間はないのだから、自分の頭の中の言葉のスピードはもっと速くていいはずだ。

そう思うと速聴ってのもいいかもなと思うし、近い効果を自分以外の人間と相互に発揮できる(と自分は思っている)早口もいいものだと思う。

要は「空気嫁」ってだけのような気がする。なんとなくだけど、リンク先の記事で問題としている「仕事」って「商談」のように見える。要するに相手を説得したりする仕事だ。そういうシーンで早口が活きることはまずないだろうことは想像に難くない。

余談だけど、自分は速いテンポで刺激を与えてくれていたとはっきり自覚できる人物を二人思い出せる。一人は予備校の英語の先生、もう一人は大学の先生。一方、早口で脱線しやすい人も二人思い出せる。一人は脱線のときとそうでないときがはっきり区別でき、脱線じゃないときは喋りのテンポがとても変化に富んでいる。脱線のときは怒濤のごとく脱線する。もう一人は、今回問題にしている、話が整理できないし人の話を聞いていないタイプである。

あ。今気づいたが最後の一人は必死に早口な気がする。あとの三人はネイティブの早口というか、速く喋ることが脳に対してそれほど負担になっていないタイプだ。つまり速く喋りながら別なことを考える余裕を持っているタイプ。先々の言葉が頭のキャッシュにたまっているので、ものすごいスピードで喋りながら電話に出るタイミングを伺い、出た直後から別な話をできる。電話から戻って前の話に戻るのも苦労なくできるような、そんな人だ。

問題は早口かどうかではなくて、余裕のなさかもしれない。

  1. その前に丸付き数字は勘弁してください。 

  2. もちろんこれらに限定する気はない 

Unison を使ってみる

一足遅かったのか。くそ。

元酒鬼薔薇

酒だったっけ。今日仮退院したらしい。

これを伝えていたニュースステーションのコメンテーターに心底腹が立った。

「彼は6年掛けて社会生活を送る、つまり我々と同じ立場に立っただけだ。それは普通ですよね。」

「彼の今後立ち向かわなければいけない苦しみより遺族の苦しみ、悲しみの方がよほどつらい。」

あんた何様だ。

未成年が成人に至る苦しみなぞ、とうに忘れたのだろう。まして罪の意識を抱いたまま成長することなど、経験のない人間に分かるわけがない。そして殺人という罪を抱えたまま生き続けることは、どれほど恐ろしいことか。その恐ろしさを想像することができない自分に疑問は感じないのだろうか。そんな自分が遺族の痛みを本当に想像できているなどと思っているのだろうか。

傲慢だ。言葉だけを先走らせてはいけない。自分が普通だなんて簡単に言えるものか。普通という言葉の恐ろしさが分からない人間が、マスコミとしてあたかも市民の代表であるかのような言葉を語らないでほしい。

cygwin の screen で attach

socket 周りの関係で難しいらしい。そこかしこでいろんなバージョンの patch が出てたりするが、うまく動く人がいれば動かない人もいるって程度で、cygwin そのものの socket の改善が必要なんだろう。

まぁ remote で使わないなら window さえ作れれば必要ないっちゃ必要ないんだけど。remote が Windows の場合もあるのでその辺はかなり恨めしい。間に Linux なり FreeBSD なりを入れてそこで detach / attach するって手になるんだけど、なんだかスマートじゃないし、必ず間のマシンを用意できるとも限らない。

とにかく、SFU にも screen の port はないし、Windows でまともな detach / attach は諦めるということで。まーそんな長い作業を remote の Windows でなんかやるなってこった。

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