コマンドラインや開発ツールに縁のない人にバージョン管理の便利さを味わってもらおうと、Windows の GUI で使える分散バージョン管理ツールを調べてみた。今のところ選択肢としては以下のものがありそう。
ツール | 対応するオリジナル |
TortoiseHG | Mercurial |
MsysGit | Git |
TortoiseBzr | Bazzar |
それぞれ試したみたけど、
- MsysGit は全然安定感ないし、GUI が独特すぎる
- TortoiseBzr に至っては GUI でリポジトリを init することもできない
ということで自動的に TortoiseHG 一択の様子。TortoiseSVN と比較するとまだまだな感じは否めないが、バージョンも若いし、これからだろう。
余談だけど、これを調べている過程で知ったのは Bazaar が以前は C で書かれていたこと。Bazaar NG として Python で書き直されたのが現在の Bazaar らしい。まったく知らんかった。というか Bazaar 自体試してみたことすらないんだけど。
実は OSX を使い始めて数年経つのにシステムで全体的に Emacs 風キーバインドで扱えることをつい最近まで知らなかった1。知らなかったときは当然使えるとは思ってないし別に不便でもなんでもなかったんだけど、案外あちこちで使えることに気を良くして使うようになってからは「対応していないから使えない」アプリをとても不便なもののように感じてしまうのだから現金なものだ2。
もう一つは、Camino で tDiary の編集をしているときにうっかり C-a を押すと POST されちゃうのに実は結構まいっている。このエントリはそうしてつい POST してしまった、書こうか書くまいかすら迷っていたような状態のものから無理矢理書き直してネタを起こしているんだけど、OSX 全体で Emacs 風キーバインドが使えるのであれば、accesskey 用のコンビネーションが Ctrl 単独で効くという挙動は変えておいた方がよかったってことなのかなぁ。
当座は C-a で POST しないように tDiary の template を書き換えて accesskey を s とかに変えてしまえばいい3)んだけど、なんかちょっと違うんじゃないかコレという気がしないでもない。accesskey 自体は便利だから使いたい。でも Emacs キーバインドとぶつかっちゃヤダ。
どーも 2ch ではガイシュツらしいがちゃんとまとまった解決方法はガイシュツじゃなかった。
まず
- 原因は ruby-bdb1
てのは間違いないらしい。そこでやることは
- /usr/local/etc/pkgtools.conf に ENV['PORTS_DBDRIVER'] = 'dbm_hash' を追加(これは作者本人のコメントによる)
- pkgdb -fu
- portsdb -uU
これで pkgdb および portsdb が bdb ではなく dbm を利用するようになって、結果うまくいく。
ruby-bdb1 は不要になるので削除することになるが、portupgrade が依存していることになっているので pkg_delete -f など少し強引な作業になる。あれなら削除しなくても実際には使っていないので問題ないかも。
しかしまったく突然こんなことになってしまったのだが、想像するに
- (cvsup とかして)何かの ports の持ってる情報が bdb1 か ruby-bdb1 と相性が悪くなり、
- ruby-bdb1 のバグで ruby が core 吐いて死ぬ
という流れのようだ。うちでは先週の cvsup の段階では大丈夫だったのだが、今週の cvsup で地雷を踏んだ模様。しかしこの症状は少なくとも2ヶ月以上前からガイシュツだったらしい。かなり致命的な症状の割にあんまりあちこちで話題になっているように見えないのは自分が不勉強なだけなのか、ひょっとすると cvsup のタイミングによっては放置しても直ったりするのかもしれない。
まったくえらいめにあった。協力してくれた showchan に感謝。いやほんとにありがとう。こういうのは一人だと煮詰まってダメなのです。
きっちり3週間待たせる気だな?
めがね修理中のこの3週間ほど、2つ前のめがねを掛けていた。これはやや度が甘く、運転免許の適正試験は通らない。おまけに少しレンズが黄色掛かっていて、何やらコーティングが変色しているかのような雰囲気。
それが今朝、一つ前のめがねを発見。早速掛けると今度はよく補正されすぎてちょっとくらくらする。おまけに少し弱い度のめがねだったここのところ目を凝らし気味にしていたせいか、実はやたらと目が疲れていることに気づく。またレンズのサイズが変わり、目の下側がかなり削れているのでレンズの境界線が気になる。
今までこういうめがね(いや実際に修理しているものはもう少しレンズが小さいんだけど)だったのかーと少し感慨にふける。そしてこの一つ前のめがね、やはり驚異的に軽い。疲れないという意味ではこのめがねがいちばん疲れない気がする。でもちょっと角度が合っていない。何度かゆがませているのでもう金属疲労でフレームもやばいかもしれないし、さすがに再び常用することは不可能だと思うと、実に残念だ。