2006-06-04

blog の飲み会ヨタ話的機能

Hiroaki Suzuki's Blog: なんか不思議な一致だ (via otsuneさんとこ)

最近思うのは、blog は酒場のヨタ話にどんどん近づいているのかなということ。

これにはいい面も悪い面もあって、持たざる者が持つ者をやっかむなんてのは悪い面と言えるだろう。

本来酒場の席で持つ者をやっかむってのはガス抜きとして有効なのだが、残念ながら blog は公共空間であり、しかも声の大小はソーシャルブックマークの介在などによってどんどん無関係になりつつある。1そのうえ物理的な空間の制限を越えてそうしたやっかみの声というか「心」を数多く集めることが比較的容易に起こってしまう。負の連鎖というか。時に、出る杭を打つという、ある意味マスコミの悪い機能と言えるものまでを獲得し得る。

※ もちろんそうした現象をウォッチすることで逆にああこういう分野でも格差の拡大が起きているのか、これはまずいなぁと「問題」として昇華させることはできるかもしれないが、それは別に負の連鎖を待たなくてもできそうな気がする。負の連鎖が起きるといろいろいやな思いをする人が増えたりするので、起きずに済むなら起きない方がいいように個人的には思うし、blog で観察できる分野はまだかなり偏っているので積極的に利用するべきではないだろう。

いい面ももちろんある。

恐らくリンク先で blog を高等教育に利用するというのは学会の懇親会が24時間365日 Web 上で行われているような、そんな感じ。これが酒場のヨタ話的いい面の一つ。いやそんなのメールでもええやんと思うかもしれないが、Web は開けた空間。要するにみんなの前で立ち話をしているのと同じなのだ。この立ち話状態、あるいは広い座敷でみんなで飲んでる状態はつまり誰でもその話に割り込める状態なわけで、これはとても面白い状況と言える。2

関心領域の近い人同士によって議論の輪が大きくなるかもしれないし、逆に関心領域そのものは近くないけれど、お互いの領域で起きているストーリーの展開が似ている、あるいは似ていないという話で盛り上がることがあるかもしれない。まぁ酔った勢いでお前の言ってることは間違ってんだよ!と説教することはできないが:-P

もっとも、こうしたまっとうな利用方法を、しかも高等教育機関で行おうとすると、最初の場の演出によっては酒場のヨタ話にまったく向かわずに、カタいジャーナリズム的な利用に向かってしまいかねない。まぁ向かってもいいのかもしれないけど、それで blog を続けるのは苦痛以外の何者でもないだろう。好きで始めた草の根ジャーナリズムならともかく、この場合は授業やゼミによる強制的な blog なんだから、場の演出に十分に心を砕かないと、小テストやミニレポートの提出を毎日無言のプレッシャーのもと強制されてしまう状況になる。これはきついだけだ。そして、きついだけという状況から問題意識や問題定義が生み出されるとはちょっと思えない。

私が酒場のヨタ話という言葉にこだわるのは、「自由闊達な議論」というものをイメージしていると言い換えると分かってもらいやすいかもしれない。official と unofficial の狭間というか、そういう場をイメージしているのだ。エモーショナルな問題意識を言語化するためにはこの中間的な場がとても大事なのではないか。3

しかし、単位がほしいだけで別にたいして興味ない授業の場合、こんな方法が採られたらすげー困るだろなぁ。


ちなみに、ツールというか技術的な話に絞ると、blog がベストなのか?という疑問はなくはない。blog は文章を公開する場であって、文章を練るための道具として使いやすいわけではない。自分だけが閲覧、編集可能な Wiki と組み合わせるといいかなという感じか。4SNS はどうだろうとも思うけれど、コミュニティを作るのが目的ではないのだから、これは外れるだろう。

また、仮に授業やゼミで blog を利用するならそれはひとまず閉じておいた方がいいと個人的には思う。つまり IP アドレス、あるいは ID, pass によってアクセス制限を設けるということである。というのも授業やゼミによる blog の利用というか、「発言」は半ば強制的なものであり、かつ参加者は学習の途中であるから、未熟な発言が紛れ込むことはおおいにあり得る。これを例えば大学のサーバを利用して外部に公開してしまうのはややこしい問題を生みかねないし、無自覚な当人が「攻撃」対象になってしまうこともあり得る。まぁ簡単なイメージで言うとはてなグループをプライベートに運用するとか、そういう方法がいいんじゃないかと。で、登録する際のメールアドレスくらいは各教育機関で用意する、と。5

これらは安全性の問題でもあるし、上に書いたエモーショナルな問題意識を言語化するための装置としての配慮でもある。もちろん学生個人が自分の意思で自分の blog を持つことはまったくの別問題ね。

  1. 本人がそれほど声高に言ったつもりがなくてもソーシャルブックマーク、2ch の祭りなどの拡声器によって知らない間にみんなに声が届いていたりする。 

  2. メールはメールでまたアリでしょうけど。いわゆる「往復書簡」みたいなやつね。 

  3. 最近はネットが間に入った方が直接の対面コミュニケーションよりも気楽に行えるという傾向があるので、要らぬ心配かもしれないけど。 

  4. 手元でメモ帳や Word でやった方がいいとも言える。ただ参加者が全員自分専用の PC を持っているかどうか分からないなら Wiki を用意しておくのは有用だろうと思う。最近の自分の感覚ではローカルの、特にファイルベースのデータは管理がややこしいからいやだなぁと思っちゃうんだけど、その辺は自分で自由に Web ベースのツールを準備できるからとも言えるな。また「道具の持ち替えが面倒くさい」という感覚もあるのだけれど、逆に学習者に対してはあえて持ち替えを発生させることで公共空間である blog との違いを意識させた方がいいとも言えるかな。 

  5. どこまでプライベートにできるのかよく分かってないし、こうした運用も規模と期間次第によって適宜判断が必要だろう。教育機関側で有料サービスを申し込むというのがいちばん妥当なところか。ただ、授業やゼミ単位でお金を出すのは手続き的にややこしそうだし、今回のプロジェクトのような話では当然自前であれこれ用意するだろうから、有料オプションの使いどころってのも案外難しいのかもしれないけど。 

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