2007-06-07

成功者の言葉は説得力もあるが空しくも響く

www.textfile.org - 「好きなこと」と「仕事」

これを読んで、結城さんの Yahoo! ブログに対する言いようのない違和感が自分の中でかなりはっきりした気がする。なんていうか、覚悟の決め方が違うんだろうなぁ。というか、「覚悟」という語の持つ意味とはまた違う決断をしているというか、そんな感じだろうか。そう思うと、今のポジションには落ち着くべくして落ち着いたということなのかもしれない。

自分はどちらかというと小野さんの感覚に近い。あえて何かを犠牲にし、何かのために時間を割いているという感覚である。いや、実際には恐らく単に好きなことをしているだけなのだと思うが、好きなことばかりしていてはいけないという教育を受けて来たのだろう。好きなことをやっているときに非常に知的興奮を覚え、充実感がある一方で、その後に虚脱感や罪悪感を覚えることもある。それが正しいかどうかを、周辺の環境を絡めて理由付けして自分に言い聞かせることで「何か」を保っているような、そんな感じである。

しかしそうなると逆に自分はこんなに頑張っているのに周囲には評価されない、と悩むようにもなる。当たり前である。自分で勝手に理論武装しているのだから。周囲の評価を自分で捏造しているのだ。それは現実ではない。

問題はそのあと。

自分を含め個人の行動だけを対象にしているのならそれはまだ対人コミュニケーションにおいて注意すべき点が増えただけというか、「心がけ」などでなんとかなるレベルであるように思う。しかし組織的な間違いであるとかそういうレベルになると個人の心がけの効力は心もとない。

あーえーっとね。要するに今自分は自分に歯止めをかけようとしているところなのです。ちょっと待ってね。

……。

そうだなぁ。目に見える課題を多く積み過ぎてイライラしているのかもしれないなぁ。課題をより多くクリアすることで自分の評価を高めようと計算しているかもしれない。でもきっと評価なんかされないんだよね、ってところまで分かっている。(つもり。)そこで始める前からイヤになっている部分もあるんだろう。純粋に自分が楽しい課題もあるので、全部が全部イヤではないんだけど。あと、「やり残し」も見えているからなおさら気になっているんだろうね。

この文体便利だな。

あまり意識していなかったけど、自分が前段のような文体ではなく、口語的な文体を好むのは、きっと自分のためだったんだね。なるほど、賢いぞ、オレ。


えーと結局のところオチはどの辺にあるのかというと、

好きなことをやることが幸せならやればいいじゃん?

てことなのか。いや、当たり前じゃんと思うなかれ。逆に言うと、

本当に君は好きなことをやるのが幸せなのかい?

ということさ。「好きなこと」と言われてぱっと思いついてそれやってれば時間も忘れられる、そしてそれがあわよくば仕事に結びつくようなものであればそれを選択することも可能だ。でも、自分は

好きなことをやることが苦痛な人だっている

と思うんだね。言い直すと

自分の好きなことを自分で見つけて自分で進めていくのは結構タフ

だと思うんだ。頼まれごとが断れない人っているけど、それは

頼まれごとが好き

ということでもあると自分は思っている。だからそういう人は自分で好きなことを見つけていくよりも「頼まれごと」で仕事が進んでいく方が性に合っているってことだと思うんだよね。

好きなことをやった成功者の話は憧れちゃうけど、好きなことをやっても成功しない人はいるし、別な見方をすると好きなことをやり続けられることがすなわち成功でも成功の秘訣でもないし、成功って何?という漠然とした問いも忘れちゃいけないよね、ってことなんじゃないかと思う。好きなことをやりたいのかい?そうじゃないのかい?と。

どうしても好きなことをやっちゃうんだよねという人は諦めてそれを仕事にしちゃうのがいいんだろうけど、案外世間の人は世の中をうまくだまくらかして時間の調節を行って、好きなこととは別に仕事をやっつけて、どうにか人生を転がすことができるようになるものなのさ。そしてそれがそれなりに幸せだったりする。

だったらそれでいんじゃね?っていうのは実はけっこう当たり前のことなんだけど、当たり前を維持しても幸せになれないかもしれないっていう不安が今の世の中に多すぎるから、みんな別な幸せを、ここじゃないどこかを探そうとするのかもね。でもさ、ここじゃないところはたくさん存在するけど、「どこか」ってのは、実は存在しないんだよね。「本当の未開の地」でもなけりゃあね。

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