打って響くことの気持ちよさ
以前早口の話に触れたことがあったが、やはり自分は頭はぶんぶん回す方が気持ちよいし、自分のためによさそうである。頭が疲れるくらいに高速で本題と本題じゃない話題を展開し、トレースし反芻してまぜ返すのはとても面白い。様々な刺激が頭の中を駆け抜け、気持ちが新たになったり、ふとした思いつきが出てきたりする。しかしこれは会話の相手が同じスピードでついてこれないとできない。
いつもいつも疲れるほど回すこたぁないけど、回した結果として気持ちよさが残る相手は貴重だ。
…ということは説明が徒労に終わったときに痛いほど感じる。めんどくさい思いをしてだるさだけが残るなんてあほくさい。
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