血液型を持ち出した方が話がややこしいような気がする

void GraphicWizardsLair( void ); // 「教育現場に蔓延しているゲーム脳理論に学会は反論しないのか」ってのは「世間に蔓延している血液型性格判断に学会は反論しないのか」と同じ構造なのかも

自分は血液型の性格「判断」や「診断」といったものは基本的に信じちゃいないが、全身くまなく流れている血液の型が違うっつってんのに、まったく無関係だとしたらその方が気持ち悪いと感じる人間なので、血液型話を頭から否定するのはかえってややこしいと思って特段否定的な発言をすることはない。もっとも、頭から信じ込んでいる人がいたら、それは圧倒的にパワーの差があってなおかつそれが直接自分に影響しない限りは否定させてもらうが。1

ところで血液型の話を持ち出さない方がいいんじゃないかっていうのは、血液型の話はゲーム脳みたいに測定方法からおかしいといった分かりやすい間違いがないから。統計的な手法にミスがありますとかじゃなくて、その結果を逆方向に、つまり統計でこう出ているからこの型はこうと結びつけることができないという、素人には分かりにくい論理展開の無理が問題であって、ここら辺までくるとそういう面倒な話を真面目に理解しようなんて人はかなり少なくなってしまうんじゃないかと思うんで、着地点として血液型話と似たようなものということにしてしまうのはなんかあんまり嬉しくない気がする。(って自分が嬉しいかどうかはどうでもいい話ではあるんだけど。)あと、とりあえずゲーム脳理論を批判したい場合は、あれは測定方法間違ってるんですよ、と言ってしまうと分かりやすくていいじゃんと思っている。

※ だいたい学会が批判してないとか、学会の権威を借りようって考えはゲーム脳理論を信じ込んじゃう人とあまり変わらない気がすると言ったら暴言なんだろうなぁ〜。

ただそれとは別に、自分が教育者という立場であればゲームの「やり過ぎ」は基本的に禁止するだろう。経験てのは食事と同じでバランスが大事だと自分は考えている。少なくとも本人に主体的に選ばせて大丈夫と言えるくらいに経験を積んでいない間2は、教育者の権利としてやり過ぎは禁止する。その際はゲーム脳理論が正しくても間違っていてもそんなことには影響されない。やり過ぎを禁止するのはゲームだけに限らないから。本の読み過ぎも外で遊び過ぎもネットし過ぎも勉強し過ぎも等しく禁止する :-P これはジョークじゃなくて本当に本気と書いてマジと読ませてマジで禁止する。するよ。

上は本気だけどゲームのやり過ぎを禁止する理由は実はもう一つある。自分が昔ゲームに熱中するあまり、イライラして言動が暴力的になってしまい、その結果友達を一人失った経験があるから3。つまりゲームで遊ぶ行為そのものを問題にしているのではなく、やり過ぎによる興奮状態とそのコントロールを問題視している。子どものうちは4自分でその辺を客観視できないので、そこは大人がブレーキを踏んでやるべきだろうということ。

教育という文脈において重視すべきは、何かを与えなきゃいけないとか何かを与えちゃいけないとかじゃなくて、どう与えるかどう与えないかということであり、当たり前だけど対象となる人をどれだけちゃんと見るかが問題なんだと、いま自分は考えている。

あと自分の行動が影響してネットジャンキーが育つということであれば、そりゃ当然自分の行動も顧みるし、対象となる人との距離の取り方も考えるさ。自分が教育者として責任を持つんであればね。

[2006-06-28 追記]はてブコメントによると目的のためなら嘘ついてもいいじゃん派という解釈をされてしまっているようなんだけど、どこがそう思わせたんだろう? もしかしていちばん最初の血液型の話? それがいちばん印象に残ったの? そういう人もいるのか…。

  1. 例えば雇用主に君はB型だからスタンドプレーに気をつけないとね、と言われれば「そうですね、気をつけます」と答えておく。というか答えておいた :-) 

  2. この判断もまた難しいが、例えば高校生が自分でバイトして自分でゲームにのめりこんでいくのはアリ。もっとも、義務教育じゃないからそれなりの覚悟の上でやってもらうけど。 

  3. これがゲームのやり過ぎと因果関係があるのは疑う余地はないのでツッコんでも無駄です。 

  4. まぁオトナでもギャンブルとかそうだよね 

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