あれから10年もぉ〜

10年を機会に振り返りを行うなんてのは非常にありきたりで面白くはないのだけれど、ふと Twitter に流れてきた [エディタ派閥まとめサイト

  • IKeJIWiki]1 を見てるうちに自分のエディタ年表を作りたくなり、作っているうちにちょうど10年前の自分は今の自分のあり方に最も大きな影響を与えた転換期にいたことを思い出した1

10年前の自分は、えーとコの業界的には人から譲ってもらった ThinkPad 530(DX2 50MHz, 20MB/1GB)の上に Win95

  • command.com + KI-Shell + Unix-like tools + Vz という環境を作って遊んでいた時期のような気がする2。この時点で恐ろしく時代錯誤な環境ではあったのだが、何しろ Windows を動かすだけでやっとの機械。メーラは電八。ブラウザは Netscape. ちょうど初めてのホームページとやらを作ったのもこの時期だ。意外に遅い。なぜかというとそれまで WWW を GUI で眺められる「自分の機械」がなかったからだったように思う。環境がなかったわけじゃないんだけど、やはり自分のノート PC で自分の好きな時間、好きな場所で作業できることが最も大事だったんだと思う。(ノートをメインマシンにしたのはこの数年前から。)その後はしばらく非力なマシンでどこまでやれるかをテーマにし、Lynx やら何やら、先人の知恵の結晶を数年遅れで追いかけて行くことになる。ただし時間はあったけど頭はよくなかったのでそれで何を得、何をアウトプットしたかと言われると耳が痛い。

コの話から離れるといわゆるお師匠さんと出会った頃で、少しは明るい兆しが見え始めた時期。今の自分を形作った友人に出会うのはもう少し先の話になる3

その後明るい話ばかりになるのかというとまったくそんなことはなく、平凡な自分は時間をいたずらに消費しただけでたいした成果も出せないまま今に至ってしまっているが、それなりに平静を保てているのでたぶんそれなりに幸せなのだろう。とりあえず身体の調子は10年前よりはいい4し、むかつくことも多々あるが、根本的なやる気を失っていないのはかなり大きな救いだ。

ただ、これからの10年をロクに思い描くことができないのは恐らく幸せではないのだろうな。妄想はできるが、自分の妄想が実現したことなどほとんどないし。ということは課題は妄想と現実の間に橋を架けることか。あるいは橋の設計が可能かどうかを考えることか。

とりあえず nadoka どうするよ、オレ。

  1. エディタからかよ、というのはこの際置いておく 

  2. その前の半年は FreeBSD 2.0.5(98) で NEmacs やら nifty4u+ やらを動かして遊んでいた。本物の 32bit ってなんて速いんだ!と感動していた。エディタ遍歴的にはここがターニングポイントで、以来 Emacs キーバインドじゃないと使えないカラダになっている。 

  3. それ以前の友人の影響がないわけじゃないよ 

  4. もちろん10年前よりいたわっている 

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