embrace the conflict – 葛藤を楽しもう
なるほどなぁ、と。整然としていて参考になります。
自分の中で葛藤というのは非常にイメージの悪い言葉なのでできるだけ使いたくはないんだけど、これが衝突であればすっきりと飲み込めます。タイミング的に、社会そのものの多様化とオープンシステムの文化がソフトウェアにまで浸透した時期1がある程度一致しているように見えるのは偶然なんですかね?
しかしこうなって思うのは、「従前の学校文化」での学習はなんて楽ちんだったんだ、ってことですな。まぁ向き不向きがあるので「従前の学校文化」の学習が楽だった人とそうでない人がいるのは承知のうえですが、それでも何を学ぶかは自分で探したり考えたりする必要はなかったので、その分の負担は減るわけです。同じようにいわゆる伝統的な職人芸的世界も、基本的に学習というか習熟パスに大きな変化や断絶や複線化なんつーのはないわけです。ところが今は学習対象について習熟していくと同時に、その学習対象を取り巻く環境も学ばなければならない。面倒くさいけどやらなしゃーない。
自分はこの部分を学ぶときにこそ、コミュニケーションが大事なんじゃないかと思います。だから自分はテーマが絞られてしまったコミュニティにはあまり興味がないのですな。例えばソフト畑においてある特定の言語、ある特定のプラットフォームに関してのみ扱うコミュニティではその外の文化とのギャップがよく分からなくなってしまう。これはちょっと避けたい。2
しかし実際にはこの異文化をそのまま並存(共存とは限らない)させるコミュニティというのはとても運営が難しい。そこに参加するのも難しい。ある程度は、軸を絞ることで実現できると思うけど、その軸を設定できる分野とできない分野、論理的に設定はできるけど心情的に設定できない分野があるでしょうね。かといって本当に雑然としたままとりあえず並立させちゃう 2ch 式コミュニティはノイズが多すぎてコストが大きい。適切なサイズで、適切なコストで参加できるコミュニティ。「ないものは作れ」精神もときに必要になるのでしょう。