最近読んだのは『20世紀少年』『21世紀少年』、あと『医龍』。
『20世紀少年』は連載時途中で挫折して間が空いていた。どうも血の大みそかからともだち復活のくだりまでスッポリ抜けていたようだ。あと『21世紀少年』も読んでなかった。
読み直して思ったんだけど、これ、今の子どもはどういう感想を抱くんだろう。小学生が読んでも面白くはないだろうな。中高生くらいになると昔はこういう生活、遊びがあった、今はどうだ、と置き換えて考えることも十分できる。大学生の意見はどうだろう。何か面白いものが聞けるかな。作品のテーマとか無視でいい。自分たちの感じる懐かしさのポイントと、彼らが先入観なく感じるもののズレを確認してみたい。
『医龍』はドラマを見てた。漫画は雑誌に載っていたのをチラッと見たことはあって、一部登場人物のキャラ付けが違うのは知ってた。
全部読んだわけじゃないけど、個人的にはスキルの差のある人およびチーム間のギャップの話がとても興味深かった。普通の人が普通の方法でできることをやるという霧島の考え、朝田と霧島の間で揺れる伊集院、伊集院の成長を考えて伊集院に普通の人たることを強制するか否か悩む霧島、のくだりはちょっとグッときた。
本当は自分もそろそろ、自分の力が足りるか足りないか、すごい人はいるのに自分は、といった話ばかりではなく、こういう後輩の指導みたいな話に興味を持たないとダメなんだろうなぁ。もう少し大きな組織にいればその辺に悩むこともあるのかな。考えたらそうした悩みを抱える機会が少ないのも田舎の不利な点なのかもしれない。いざ人を育てなければいけなくなったときの対応力を鍛えることができない。勢い、乱暴な徒弟制のようなものになりがち。
まぁ、体系だった教育システムがあったとしても新人のできることは実際たかが知れていて、チームの中でイーブンな関係で働きながら成長できます的な建前であってもそれが本当に可能なのは実はかなりマニュアル化が進んでいないと無理っぽくね?という気はしている。それって成長産業など変化の激しい環境では結構難しいんじゃないかと。もう一つは、実はそういう環境での教育をぬるく感じる、あるいは逆に押し付けがましくてうっとぉしいと感じる可能性もあるわけで、実際、近代学校がまさにそれだよねという印象を抱いている。
そこでもう一度出てくるのは霧島の「研修医は失敗してもいい」という言葉で、「失敗できる環境をどう作れるか」が上に立つ者の腕なのかなという風に思ったりもしている。こうして言葉にするのはもしかすると初めてかもしれないが、「やり直しが効く」とか「選択肢がある」とか、そういう言い回しはずっと前から好きなので、実はこの10数年、同じこと言ってるだけだな。
やっぱオレがいちばん進歩してねぇよ。